明るすぎる海

これらの文章はすべてフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

オリオン座

 

 

 

 大学一年目の春から大学四年目の十一月まで、東一条のアパートに住んでいた。それから三ヶ月くらい、十八条のパン屋さんの斜向かいにあったなっちゃんのアパートにいて、大学四年目の春、なっちゃんと一緒に北十二条のアパートに越した。結局そこには二年住むことになった。東一条のアパートの部屋は広かったけれども大学まではそれなりに遠くて、一年生が取るような一限の授業もまだたくさん残していたおれは、やはり大学に近いほうが出席もはかどるだろうということで、親にお金を出してもらって引っ越すことにした。結局、アパートが遠かろうが近かろうが、そんなことはあまり関係なく、最後まで出席がはかどることはなかった。

 

 その前の年の十二月くらいからおれはなっちゃんのアパートで暮らしていた。なっちゃんは同じ学科の女の子で、おれより後に入学してきたので後輩ということになるけれど、おれは一年生を二回やったので進級したタイミングはおなじだった。しかし、おれは三年生も二回やったので、なっちゃんのほうが先に卒業していった。なっちゃんは精神を病んだぼろぼろのお人形さんだった。一緒に暮らしはじめてわかったことだけれども、なっちゃんは感情の女の子だった。いつも感情のファッションに身を固めて、感情のメイクをきめて、感情の音楽を聴いていた。そしてあの頃、なっちゃんの耳にはピアスがめちゃめちゃいっぱい開いていた。なっちゃんはかなり映画が好きで、仲良くなったきっかけも暇なときに一緒に映画に行ったからだった。当時、札幌にはディノスという映画館があった。ディノスは名古屋でいうところの伏見ミリオン座みたいなところで、手作りのポスターがごちゃごちゃ貼ってあって、少しマニアックな映画をいっぱいやっている小さな映画館だった。そこにふたりでよく行った。帰りは大通の喫茶店で感想など話していた。雨の夜に歩いてパフェを食べにいったりもした。いつも、ふたりで四個食べていた。これは別の大きいところだけれど、駅ビルの上にある映画館にもよく行った。日曜の朝だけ五百円で昔の映画を見れる、学生には非常にありがたいサービスをやっていた時期があって、パルプ・フィクションを見たのをおぼえている。パルプ・フィクションは大学の図書館で初めて見たときはそんなにいいと思えなかったのだけれど、朝の映画館で見たときには不思議とすごくいいと思えて、それから大好きな映画になった。

 

 なっちゃんは読書が好きで、東京の高校に通っていたころは、さぼって植物園で本を読んでばかりいたから、あやうく留年しかかったと言っていた気がする。おれはなっちゃんの昔のことをよく知らない。乱暴な男と付き合っていたようで、かなり辛い思いをしたらしく、その頃のことはあまり話さなかった。一度だけ高校の頃の写真を見せてもらったことがあるけれど、金髪で可愛かった。なぜかなっちゃんは大学にはちゃんと毎日通えていたし、日本学生機構から毎月奨学金をもらっていたのだけれど、脱毛か整形かなにかでローンを組んでいて、その支払いにあててしまっていたので生活費は夜職のアルバイトでなんとかしていたようだった。付き合うまでは何をしていたのかよくわからないのだけど、おれが三年目の冬に一時的になっちゃんのアパートに住んでいたときは、すすきのにあった合法カジノというか、ポーカーができる店でディーラーをしていて、そこに金持ちのじいさんがきて、愛人にならないか?と誘われたのを断ったり、いろいろあったらしかった。そのあとなぜか急にカジノを辞めて、二ヶ月くらい大通りのカフェでなぎさちゃんという名前でメイドさんをやっていた。なっちゃんが辞めたあとすぐにカジノは摘発された。換金をしていたのかどうかはわからない。表向きの理由は、深夜営業が風営法に抵触していたということらしかった。おれはカジノのことはよく知らないけれど、雀荘の場合、こっそり深夜営業をしていない店なんて存在しなかったから、そんな理由で摘発されるなんておかしな話だと思った。これは今でも何か裏があったんじゃないかと不思議に思っているのだけれど、まあそんなことはどうでもよかった。

 

 なっちゃんはすぐにメイドの仕事に慣れて、はじめこそ他の可愛いメイドさんと仲良くなれたとか、お客さんに可愛いと言われたと喜んでいたのだけれど、どうやらメイドさんはディーラーよりかなりたいへんだったらしく、結局一ヶ月半くらいで辞めてしまった(そのときの名残で、アパートのおれの部屋にはずっとメイド服が吊るされていた)。そのあとすぐに風俗の面接に行ったら、店長から、あなたはうちの店で働くには細すぎる、という理由で断られて、結局すすきのの雑居ビルにあるピン雀荘で働くことになった。なっちゃんがホールスタッフとして働いている間、おれもその店に毎晩打ちに通って、十一時頃に商店街でラーメンなど食べながら歩いて一緒に帰るということをよくやっていた。なっちゃんは麻雀は素人だったけれどなぜかずっとやりたがっていて、おれが家ですこしルールを教えたりしたこともあり、店長のお金で少しだけ打たせてもらえたりしてお客さんも喜んでいたらしかった。その店には、ぬいぐるみとかお菓子とかをもってきてホールの女の子たちにプレゼントする常連さんが何人かいて、そういうわけで十二条のおれの部屋にはぬいぐるみとチョコレートの箱がたまっていって、その上で花みたいな洗濯物のシャンデリアが揺れていた。ぬいぐるみなど邪魔なだけなのだけれど、まくらの代わりにしたりしているうちにだんだんと愛着が湧いてくるもので、いつのまにかおれがトラのぬいぐるみを密かに可愛がっていると、ある朝ラジオ局の夜勤から帰ってきたらトラ子が失踪していたことがあり、夜のうちになっちゃんが捨ててしまったのだった。おれはものを捨てれない人間だが、なっちゃんはよくものを捨てた。

 

 なっちゃんは、おれがラジオ局の夜勤でいない夜には、おれのパジャマをポムポムプリンのぬいぐるみに着せて話し相手にしていた。だから、夜勤から帰ってきたおれがやることは、まずマクドナルドかコンビニで買ってきた朝食を食べることで、次にポムポムプリンの追い剥ぎだった。逆に、なっちゃんが夜いないことも多かった。カジノやメイドカフェで働いていたときもそうだったし、なっちゃんはおれと違って友達と飲みに行くことも多かった。友達というのは同じ学科のマリツンという親友の女の子か、おれもよく知っているふたりの男友達だった。なっちゃんはそのふたりの男友達とよく飲みに行くのだけれど、おれが女友達と飲みに行くことはぜったいに許されなかった。そんなことをしたら少なくとも一週間は感情だっただろう。しかしさいわいなことに、おれになっちゃん以外の女友達などひとりもいなかった。おれはなっちゃんのいない夜をさみしい夜だと感じたことは一度たりとてなかった。しかし、なっちゃんにとっては、おれがいない夜は無限に続くかとおもわれるほど長い長い夜だったのだ。そしてなっちゃんの想像のなかにだけ生きていた虚像のおれは、なっちゃんと同じように孤独な夜にぽつりぽつりと涙を落としていたのだった。そういうわけで、なっちゃんはいつだったか、バイトの帰りに駅前の百均で光るヨーヨーとシャボン玉セットを買ってきてくれた。それからは、おれはひとりの夜に部屋のなかでシャボン玉をふいていた。しかし、そんなことはどうでもよかった。

 

 なっちゃんの精神は不安定だった。不安定とはどういうことだろうか?大学の講義の演習問題で、安定と不安定を定義する問題があった。カーブの底(つまり谷)に置かれた球は、そこから少しだけ左右に押されたとしても、自然にもとの位置に戻るものだ。これが安定ということだった。反対に、カーブの頂点(つまり山)におかれた球は、ギリギリのバランスで静止していて、ちょっとでも押されると落下してしまって止まらない。これが不安定ということだった。この定義でいうと、なっちゃんの精神はまさに後者の状態にあって、ささいな衝撃ですぐに感情になってしまうので、おれは始終気を配っていなければならなかった。しかしこの表現はほんとうは嘘で、こういうとまるでおれが始終気を配っていたような意味になってしまうかもしれないけれども、じっさいおれは気など配っていなかった。だから、ここでおれが言いたいのは、あくまでおれが、本来気を配らなければならない立場にあったということだけであって、じっさいに気を配っていたかどうかはまったく別の話だということだ。しかし、そんなことはどうでもよかった。なっちゃんは料理の褒め方ひとつ、服の褒め方ひとつ間違っても感情になってしまい、回復までものすごい時間と手間を要するのだけれど(架空の浮気というどうしようもないこともあった)、いちばん理不尽だったのは、十八条のパン屋さんの斜向かいにあったなっちゃんのアパートに住んでいた頃のことだった。その夜、夕食のあとでなっちゃんが、おれがこれまで好きになった女の子はどういう子だったのかすべて知りたい、参考にしたいというので、いろいろ昔の話などしたのだけれど、途中までニコニコしながら聞いていたなっちゃんが、突然「待って」と言って体育座りで顔を伏せたままぼろぼろと涙を流しはじめたのだった。なっちゃんはつらい……つらい……と呟きながら、あやうく嘔吐しかけそうで、かなり危なかったけれど、そのまま冬のベランダに出て行って、ドンキで大量に買った海外のタバコを吸いながら嗚咽を沈めていた。そのときはおれは悪くなかったと今でも信じているけれど(少し楽しそうに話しすぎたのではないか?という反省はある)、その後はいろいろとおれのやらかしでなっちゃんを泣かせてしまったときがあり、そのたびになっちゃんは感情になってしまった。なっちゃんがメイドをやっていた頃、同期の女の子で金髪ショートヘアのお人形さんのように可愛い女の子がいると毎日うれしそうに話していた。おれはそんなに可愛いというのなら会ってみたいと言ったのだけれど、なっちゃんは、だめ、会ったら絶対好きになるから、といって意地でも止めてきて、だったら話すなよと思ったのだけれど、結局先輩と友達を誘ってなっちゃんの元職場に遊び行ったということがあり、帰ってくるとなっちゃんが感情になっていたことがあった。

 

 おれはなっちゃんの実家にも泊まったことがあった。なっちゃんの実家は東京で、二泊三日の予定で泊めてもらうことになった。ちょうどラジオ局の夜勤の給料日のあとになるし、その間に横浜とか行っていろいろ遊ぼうということになっていた。夏休みだったので、おれはじぶんの実家に一週間くらいいて、それから東京に行ってなっちゃんの家に泊めてもらったのだけれど、実家にいる間に近所の初めて行く雀荘に打っていたら、ときどきレートが高い卓が立つということをマスターが教えてくれて、打たせてくれと頼んだら、平日の昼間なのに電話一本で怪しい客が三人くらい集まって、その月の給料がぜんぶ失くなるということがあった。そんなわけで東京についたときのおれの財布はカラだったのだけれど、なっちゃんがこっそり一万円を貸してくれた。結局その一万円は手をつけずに返したのだけれど、そのときもなっちゃんはあやうく感情になりかけていた。これはめずらしく10対0でおれが悪かったケースだった。電車で横浜にいった。雨が降っていた。おれは山下公園の花壇で傘をさしているなっちゃんの写真を撮った。これがおれの持っているほとんど唯一のなっちゃんの写真だ。夕方、なっちゃんは焼肉をご馳走してくれた。その日はおれの誕生日だった。雨はまだ降っていて、ふたりで観覧車に乗った。なっちゃんは雨が似合う女の子だった。札幌でも、いつも雨の夜を歩いていた。

 

 おれはなっちゃんの家を出たあと高校のときの友人の小田島の家に泊めてもらい、飯を食わせてもらった。小田島は競馬が好きだったので、一緒に府中の競馬場に行って、口座に残っていた三百円で三連単を買ったのだけれど当然外れて0円になった。そのあとどうやって札幌に帰ったのかはなぜかまったく記憶にない。おそらくなっちゃんがカードで飛行機を取ってくれたのだと思うのだけれど、そのあとお金を払った記憶もない。なっちゃんの家ではおれは見た目のわりにテーブルマナーがいいというのでお母さんにひどく気に入られた。お父さんは別に気に入ったようでもなかったけれど、特に意地悪するでもなく、むしろいろいろよくしてくれた。なっちゃんのお父さんはインテリなので、朝おれが起きて台所に行くと、清潔な白いシャツを着て、コーヒー片手にフランス語のテキストを開きながらラジオを聞いていた。なっちゃんにはお医者さんのお姉さんがいて、お姉さんには佐藤くんという彼氏がいて、佐藤くんもお医者さんだった。おれ、なっちゃん、お姉さん、佐藤くんで食事に行ったこともあるし、おれ、なっちゃん、お姉さん、お母さんで食事に行ったこともある。おれはいつもご馳走してもらった。佐藤くんはお父さんに会ったことがあるのだろうか?おれはなっちゃんとお母さんが喧嘩しているところを直には見たことがないのだけれど、なっちゃんは高校のときからやさぐれていたから今でも仲は良くないらしかった。なっちゃんは、よく、親とは離れて暮らしているおかげでかろうじてもっている、というようなことを言っていた。そういう話を前もって聞いていたから、なっちゃんの実家に行くまでおれはかなり緊張していたのだけれど、じっさいはお母さんもお父さんもよくしてくれたし、お父さんのスリムで上品なことにはほんとうに驚いた。

 

 なっちゃんはおれにいろいろなものをくれた。誕生日とかクリスマスとかの度におしゃれな服とか靴を買ってくれた。おれはじぶんで服を買うのが苦手だったので、いつも同じパーカーとジーンズで歩いていたのだけれど、なっちゃんはそんな男を連れて歩きたくはなかったらしかった。おれは年中ギャンブルに負けていてお金がなかったので、お返しとして服や靴を買ってあげることはなかなかできず、なっちゃんの誕生日や記念日をどうやって凌ぐかはいつも悩みの種だった。たしか最初のクリスマスは、まったく知らないサラリーマンの人からもらった三千円の商品券を使って大丸百貨店で買ったリップだった。どうしてサラリーマンが商品券をくれたのかというと、彼は泥酔してタクシーに乗ったときに財布を忘れてしまって、翌朝、徹夜麻雀の帰りにおれが藤女子大の横の通りでカラになったその財布を拾って目の前の札幌東警察署に届けたからだった。クリスマスの夜、大通り公園のビルの上にある観覧車に乗った。雪が降っていたかどうかはおぼえていない。この夜もやっぱり雨が降っていたのかもしれない。しかしふたりとも確かに傘をもってはいなかったし、もっていたとしたらどこかに忘れてしまったことになる。傘はなかった。それだけが確かなことだった。あるいはオリオン座がみえたのかもしれないけれど、忘れてしまった。もしかしたら、雪も雨も降っていなかったのかもしれない。あるいは街が明るかったから、空などみていなかったのかもしれない。アパートの部屋に帰ると、おれはなっちゃんにリップをプレゼントした。

 

 いつだったか、なっちゃんはアルコールにつけておいたニードルで、おれの耳に穴をふたつ開けて、ステンレスのピアスをつけてくれた。おれはピアスが重いということをはじめて知った。夏の終わりには江ノ島の海岸を歩いた。おれとなっちゃんは、あまり言葉を交わさなかった。おれの耳にピアスを通しながら、なっちゃんは泣いていたような気がする。涙がにじんだのをみた気がするからだ。しかしそれはいつかの涙だったのかもしれない。あるいは窓をつたう雨粒だったのかもしれない。あまり思い出せない。笑っていたような気もする。なっちゃんは記憶のなかではいつも泣いている。思い出そうとすると、よくわからなくなる。なっちゃんはおれといて幸せだったのだろうか?

 

 それからも、誕生日や記念日は何回か来たけれども、おれは雀荘の知り合いから借りたお金で買った指輪とか、不動産のキャッチをやってもらったお給料で買った服とか、それなりに立派なものをプレゼントできたこともあった。しかし、ほんとうにお金がなかったときは、短歌を書いた紙一枚を渡すという平安貴族みたいなこともやっていた。なっちゃんは料理も上手だったので、料理がまったくできなくてお金がないくせに年中外食していたおれに、いつか私が出て行ったときのために、と言って、おれがおいしいと言ったものの作り方が書かれたレシピノートを作ってくれた。

 

 おれとなっちゃんはおそろしく趣味があった。なっちゃんの勧める映画や本や音楽はどれもすばらしかったし、太った猫やハスキー犬が好きだということも共通していた。なっちゃんはおれのまねをして短歌をはじめて、ふたりで同じ新聞に投稿したらおれは一回しか載らなくて、なっちゃんは何回も掲載されていた。おれの発言がそのまま短歌になって新聞に載ったこともあり、へんな気持ちになったのをおぼえている。食べ物の好みもあっていたし、生活に支障をきたすような好みのすれ違いはほとんどなかった。唯一の困難は入浴で、おれは基本的にお風呂に入らなかったから、なっちゃんがむりやり入浴させていた。ひどかったときはほんとうに五日間一度もお風呂に入らず(もちろん大学にもバイトにも行かず)、ベッドのすみでじっと苔をはやしていたことがあったけれども、このときはなっちゃんが浮浪者の臭いがすると言って責め立て、狭い浴室に追いやり、お湯につからせ、湯気に蒸されて死にそうだというおれにジョッキで水を与えたりして、最終的には石鹸の匂いになったおれがたたまれた洗濯物と色とりどりのぬいぐるみのなかに転がされていた。

 

 いま考えても、おれはある時期からなっちゃんと生活することを苦痛だと思っていた。それは間違いない。なっちゃんが嫌いになったわけではなかった。なっちゃんといるのは楽しかったけれど、おれはいつも忙しく、充実していて、毎日が楽しいという状態があまり好きではないのかもしれないということに、ゆっくり時間をかけて気づいていったというだけのことだった。春、なっちゃんは髪を黒く染めて、海上自衛隊に入るために呉に引っ越していった。なっちゃんが出ていくとき、おれはとんでもなく嬉しかったのをおぼえている。嬉しさが顔に横溢していた。おれは、あくまでなっちゃんがいなくなることが嬉しいのではなく、なっちゃんが無事卒業し(おれと違って)、まともな職を得て社会に出てゆけることがうれしいのだというスタンスを崩さないようにした。たしか、それからすぐ電話をして別れたのだと思う。それからの一年間、おれは十二条のアパートで、なっちゃんの不在と暮らした。正式に別れたのは、春から初夏のどこかだったと思う。なぜ曖昧なのかというと、夏には呉に泊まりに行ったし、それからも三回くらい会っているから、いつ別れたのかあんまりおぼえていないのだ。

 

 なっちゃんと別れた理由はいくつかあったはずだけれど、もっとも決定的だったのはおれに結婚の意思がなかったことだった。なっちゃんは親と仲が悪かったので、いつかほんとうに仲がいい家族をもつという夢をもっていた。しかしおれは絶対に誰とも結婚しないと決めていたので、何度も結婚しようと言われてそのたびなっちゃんは感情になってしまっていたのだけれど、おれはついにイエスとは言わなかった。言えなかったのだ。なっちゃんは、結婚したいいちばんの理由は、私が死んだときに最初に知ってほしいし、おれが死んだときは最初に知る人でありたいからだということをよく言っていて、なぜかふたりとも死ぬ前提だった。おれがなっちゃんのような相手を見つけることはこの先ないだろう。それほどの人でも結婚できるとは思えなかったのだ。おれはひとりで暮らしたかったのだった。ひとりで暮らしたい。もう、これは説明できるものではなく、そういう生きものなのだから仕方がないことなのだ。結局、なっちゃんはおれといっさいの連絡を絶つことを決意した。なっちゃんは結婚したいのだから、もういい年だし、あたらしい相手を見つけなければならなかった。最後になっちゃんと会ったのは横浜中華街で、無作為に選んだ店で四川料理のコースを食べた。帰り際、支払いを賭けてジャンケンをした。おれが負けて、差分を奢ることになって、なっちゃんは笑っていた。

 

 なっちゃんと別れた年の夏、おれは呉のアパートに泊めてもらった。明け方、おれはひとりだけ布団から抜け出して、アパートの裏の階段から海に降りていった。アパートの裏の階段には、前の夜、ふたりで花火をした煤のあとが残っていた。おれは去年、なっちゃん江ノ島に行ったことを思い出した。あのときも、電車の窓の向こうで雨が降っていた。水族館に行ったのだ。植物園にいったこともある。そのときもやはり雨が降った。薄緑色の夕立だった。桜を見にいったときは降っていなかっただろうか?そんな気もするけれど、おれは思い出すことができない。冬の京都に行ったときも雨が降っていた。笑いながら古書店にかけこんだ。喫茶店だったかもしれない。午後の喫茶店の、ステンドグラスをおぼえている。異国の彫刻をおぼえている。しかし、あれは京都だっただろうか?おれは煮詰めた林檎のショートケーキをおぼえている。しかしそれは横浜だったかもしれない。札幌の、毎夜歩いた通りの裏にあった店だったかもしれない。夜勤明けに見た夢だったのかもしれない。ケーキにビスケットはのっていただろうか?蝋燭がなかったことだけは確かだった。蝋燭はない。では、記憶のなかには、どうして夜のケーキの色彩が残っているのか?クリスマスではなく、誕生日だったのかもしれない。そういえば、なっちゃんと一緒にいて、おれは涙をながしたことはない。それは確かだ。しかし、それらはすべて、どうでもいいことだった。

 

 なっちゃんはそのとき眠っていたのだから、おれが海をみていたことは知らない。