明るすぎる海

これらの文章はすべてフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

実家が売れた

 

 

実家が売れた。おれの実家は今は県庁所在地にあるが、8年くらい前まで県南の山の中にあり、去年死んだ祖父が独断で購入した最悪の立地で40年くらい店をやっていた。祖父は庭が広いのが気に入ったらしく、確かに250坪に店(2階が自宅)と車庫だけが建っており店の前の駐車場を除いても庭の広さは十分すぎ、おれより広い庭で育った人なんてキャンディ・キャンディと中川(こち亀の)以外に知らないくらいなので確かにそれはよかったが、なぜかおれは誰よりも野球が上達せず、それは天性の足の遅さのせいでもあり、カステラが好きな太っちょだったせいでもあったが、父が世界で一番野球嫌いだった(祖父はかつて社会人野球の選手で、ある日、幼い父が祖父について野原へ行くと、祖父はバットを構えて父に投げろと言う、父がボールを投げると、祖父はフルスイングでボールを野原の彼方に飛ばし、父に拾ってこいと命じた。父にとってはそれが野球の唯一にしてすべての記憶だった)のと、何よりもうちの駐車場のコンクリがガタガタすぎてノックができないせいだった。メートル単位で雪が降る豪雪地帯なので、冬場は毎朝ブルドーザーが駐車場の雪を庭に寄せてくれていて(ブルドーザーは本来シーズンあたりの料金を払ってやってもらうのだが、そこの社長がおれの同級生のお父さんで、知った仲なのをいいことに1円も払っていなかった)、おれはずっと駐車場のガタガタをブルドーザーのせいだと思い込んでいたのだが、母にその話をするとそれは違う、始めからガタガタだった、と言う。曰く、祖父が店を建てるときに駐車場の舗装の値段を計算に入れるのを忘れていて、向かいの家のじいさんがコンクリの業者だったのをいいことに(こんな話ばっかりだ)、毎日仕事帰りにコンクリを駐車場にただでおいていってもらって、それを家族全員長靴にスコップで必死でならした素人仕事だからあんなにガタガタになったらしい。それはいいとしても、店を畳んだあと父が不動産屋に売りに出したら建物は0円、土地は700万と言われ大赤字だった。それでも強気で2000万の札を付けて売りに出したら、5年くらい前に奇跡的に1500万出すというキリストのような人が現れ、母は狂喜していたが父は断固として断り(なんでだよ)、去年になっていよいよどうする...?という話で揉めていたときに、父の幼馴染の息子で俺の一個上のリク兄さんという青年が銀行から金借りて1500万円で買ってくれることになり九死に一生を得た(父が一番喜んでいた)。建物と土地はすでに名義が変わっており、しかし店にも二階の家にも車庫にもまだ大量に物が置いてあったから、それを寄せるのを手伝うためにおれも2週間ほど帰省してきた。作業の途中、店に人がいるらしいということを聞きつけ、おれの同級生のお母さんがシュークリームを持ってやってきたり、雪寄せの会社の社長の奥さんが大判焼きを持ってやってきたり、母方の祖母がいなり寿司を持ってやってきたり、父の後輩が大判焼きを持ってやってきたりと毎日色々な人がかわるがわるやってきた(町が小さすぎて大判焼きが被った)。二階にはピアノ(もとは叔母のものだが、母が勝手に自分のものにした)があったためクレーンで回収してもらった。直して海外に売られるらしく、みんなで手を振ってさよならをした。引き出しからは妹が子供の頃描いた絵が無数に出てきたが、芸風がいまと変わらなすぎるし、ほっておくと母親が家族LINEにアルバムを作り始めてあまりにも残酷なのでそれはおれがすべて捨てておいた。

積もり積もった何百冊もの雑誌は、父が高校の後輩を呼んで押し付けようとしたが断られた。人力で動かない巨大な金庫と、階段を通らない二階の家具は、妹の同級生でおれの後輩にあたる福嶋という電気工事士の青年がいて、小学校の近くに1300坪の土地を持ち、ユニックや高所作業車を所有している剛の者なのだが、電話で彼を召喚してなんとかしてもらった(金庫は父の友人の会社が倒産したときに押し付けられたもので、ワイン一本くらいしか入れたことがないくせに1トンあり、運び出すのに大変な苦労をした)。途中、おれが中学まで通っていた竹沢さんという近くの床屋さん夫婦が様子を見に来てくれ、父はどさくさに紛れて、孫がいる彼らにキャンプ道具を譲る約束を取り付け、祖母を送っていく途中竹沢さんの家にキャンプ道具を置き去りにしたが、明確に想定外の量がきて店の横がバリケードのようになり困惑していた。祖母の所有物もなかなか厄介で、祖母は祖父が死ぬしばらく前から10キロ離れた父の実家で黒猫と暮らしているのだが、歳のせいでだいぶ記憶と判断力がやられていて、服を勝手にメルカリで売っただの、写真を勝手に汚しただの、りんごをいいところばかり7個持っていっただのと(最後のは別にいいだろ)、ことあるごとに架空の罪をなすりつけて息子を恨む悪癖があり、そのうえ、昔のものを見るとすべてもったいないもったいないと言い出してきりがないので、祖母を店から隔離した状態であらかじめ何を保管しておくべきがインタビューし、記憶に残っていないものは思い出す前にすべて処分してしまおうという強行作戦に出て、実際、もう歩くことすら十分にできないのに赤い自転車が欲しいと言ったりめちゃくちゃなので、おれも説得を手伝いつつ(自転車錆びててブレーキ切れてるしあぶない、とほんとのことを言った)、なんとか終わらせた。おれは中学の時に同級生からもらったルーズリーフ折りのラブレターを親より先に発見して確保できたため、それだけでも有害な粉塵のもうもうと舞うなかで作業したり、瓶の中で発酵しすぎた謎のすっぱい液体を処分したり、7年前の粘着シートにねずみの骨格標本が大小8個張り付いていたりしたが参加してよかったと心から思えた。しかも帰りに5万円もらえて、時給換算すると散々だが気持ちは大幅にプラスだった。あまりにも多くの物を処分したため、これからは捨てるようなものは買わないようにしよう、とみんなで固く決心したのだが、服とかを売りにハードオフに行ったら、査定待ちのときにハーマイオニーの杖(先っぽが光ってルーモスできるやつ)が1500円なのを見つけてしまい、買おうかどうか真剣に悩んでしまってダメだった。